デンマークの陸軍大将であったフリッツ・フォルムという人が20世紀の初めに作った法律案です。

民主主義といわれる国は本当に平等なのか?ということをつきつけられます。

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「戦争絶滅受合(うけあい)法案」
「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。
一、国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。
二、国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。」

(引用は高橋哲哉・斎藤貴男著『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』日本評論社より)

韓国の情報です。道(県のようなものか)ごとにいくつかの保健福祉コールセンターを設置しているのではと思います。http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=2&ai_id=49896 より

保健福祉相談電話、129開通 2005/11/01(Tue) 15:01 全国どこででも局番なしに129番を押すと、保健福祉関連相談を受けることができる129コールサービスが開通した。保健福祉部は、国民基礎生活保障制度による相談や各種健康・福祉サービス、児童虐待など緊急支援分野の相談などを一つに統合した「希望の電話 129 コールサービス」を開始した。 キム・グンテ保健福祉部長官は、今日午前、京畿道清平保健福祉コールセンターで開かれた129電話開通式に参加し、これから129 電話が保健福祉分野だけでなく雇用、教育など国民の立場で必要なすべてのサービスを共に相談することができる機関として拡散してほしいと述べた。 129電話による所得保障や福祉サービス、健康生活相談は9時から 6時まで利用可能で、お年寄り、児童虐待など緊急福祉支援相談は24時間利用可能だ。

電車や地下鉄に乗ると、つり革広告が目に入る。企業など広告主が広告代理店を通じて一定期間、「枠」を購入して広告を展示しているものだ。電車は「公的」なスペースであるのに、一方的にさまざまなメッセージにさらされるばかりで、別の意見をいえないというのはおかしいのではないだろうか。週刊誌の出派亀な・肉感的な・人の粗探しをするばかりの・偏見を助長する見出しを見続けて育つ子どもが、社会に失望してすさんだ気持ちにならないほうが不思議だと思う。

広告の強すぎる「教育効果」に対して、お金を出して広告スペースを買ったものには利用する人は耐えるしかないのだろうか? 公的な場所を使う広告にはその場所を使うための、皆にとってのルールがあってしかるべきではないか。

そこで「広告フィードバック法」(案)を提案する。この法では、広告主が広告スペースを購入するとき、数%の「スペース」分を「広告フィードバック意見掲示」のために一緒に購入しなければならない。

ある広告(すべての広告にIDナンバーがついているとする)を見て、見た人がその番号を元にネットなどから意見や感想をどんどん書き込み、それらの意見(ほめる意見も、よけいなメッセージの刷り込みをしかる意見も)が一定期間、できれば該当の広告の隣の「広告意見スペース」に掲示される。人は広告を見、隣の意見を見て考え、自分の意見も手持ちの携帯電話メールから送るだろう。広告は、常に意見を待つものに変わる。広告代理店や新聞社主催の広告賞の選び方も変わり、関係者ではなく、消費者や利用者からどれだか活発な意見を引き出し、よい評価を得られたかが話題になるだろう。

現行憲法 第24条の草案を書いたベアテ・シロタ氏についての映画「ベアテの贈りもの」が岩波ホールで上映されています。数年前には青年劇場で「真珠の首飾り」という劇が上映されていました。


 「民間情報教育局の女性課長のウィード中尉が、婦人参政権の意味を指導するために、名古屋、京都、大阪、神戸、東北地方を行脚するという記事が出ていた。(中略)GHQの中には日本の女性のために、本気になって働いた人が多かった。ウィード中尉は、農村の台所にまで入って「あなた方がシッカリしなくちゃ」と激励しに歩いていた人で、日本女性は、彼女に少し感謝しなければと思う。」

(ベアテ・シロタ・ゴードン著 『1945年のクリスマス』198頁より、柏書房、1995年)

 

アメリカはアフガニスタンやイラクでも、こんなふうに考えて介入しているのかと感想を持ちました。

 公私の別について、しばらく考えてみたが、子ども(次世代)に「これが公だ」と教えることがおぼつかない。公私の別をどのように教わってきたか、私には思い浮かばない。まさか、教わったことがないわけでは・・・。 
 「うち」と「そと」あるいは「よそ」との区別については、家でも学校でも職場でも、くりかえし叩き込まれてきたと思う。「よそ」は「うち」とははっきり区別され、関係ないところ、自分が参加しないところ、という「閉じたかかわりあい」を感じる。よその家、よその学校、他社、海外。「そと(よそ)向けの発言」といえば、(うちなる)真意・本音を隠すという意味あいだ。
 しかし、「うち」と「そと」をつなぐ、「人前」という言葉があると思った。人前での振るまい、人前で発言する。「人前」には「うち」の延長線上に「そと」に向かう姿勢があると感じる。
 「公」は自分も他も参加する社会のことだと思う。「うち」は関係ない、とはいえない。「うち」(自分の思い)を「そと」に発することがなければ、他の人の意見に出会ったり意見の折り合いをつけたりができず、できた結論に従うこともむずかしい。