公私の別について、しばらく考えてみたが、子ども(次世代)に「これが公だ」と教えることがおぼつかない。公私の別をどのように教わってきたか、私には思い浮かばない。まさか、教わったことがないわけでは・・・。 
 「うち」と「そと」あるいは「よそ」との区別については、家でも学校でも職場でも、くりかえし叩き込まれてきたと思う。「よそ」は「うち」とははっきり区別され、関係ないところ、自分が参加しないところ、という「閉じたかかわりあい」を感じる。よその家、よその学校、他社、海外。「そと(よそ)向けの発言」といえば、(うちなる)真意・本音を隠すという意味あいだ。
 しかし、「うち」と「そと」をつなぐ、「人前」という言葉があると思った。人前での振るまい、人前で発言する。「人前」には「うち」の延長線上に「そと」に向かう姿勢があると感じる。
 「公」は自分も他も参加する社会のことだと思う。「うち」は関係ない、とはいえない。「うち」(自分の思い)を「そと」に発することがなければ、他の人の意見に出会ったり意見の折り合いをつけたりができず、できた結論に従うこともむずかしい。